僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

脳内監督

昨日、沢山寝ていたので夜寝られないだろうな、と思って布団に入った。

僕の寝る部屋は、カーテンが小さくて、夜が明けると部屋に光が入ってくる。それを避けたいから、パジャマのズボンをかけて遮ることにしている。

そうやって真っ暗な中で寝ようとしたら、突然、明日が来ることが怖くなった。

明日が来てしまったら、また長い時間1人で悩み苦しむのか、って怖くなった。

 

物事は大抵、自作自演だと思う。自分で認めた、自分主演の自分が苦しむ映画を、自分で撮影している。『次のカットは、僕の脳内にあるイメージ、「暗い部屋で

苦しむ自分を撮影しまーす!」』って助監督的な人が言っている。

脳にあるイメージみたいなものが幅を利かせている。自分では処理できない、脳の中にある印象深いシーン。それを自分を使って、自分の脳が演じさせている。そんな構造によってできているんだなと思う。

だから、そのイメージ部分を変えた方が良い。自分にとって健全で、健康で、自分にとって隙の無い自分。

爽やかな夏の風が吹くビーチで、白いシャツを着た少女が裸足のまま海を歩く。そんなイメージで生きていたい。

いや、これは冗談だけども、セルフイメージが重要なのは本当。高校時代、エロいことを言うのを売りにしていた松田君に「やっしーはSなのか、Мなのかわかんないんだよなぁ」と本当に困った風に言っていた。

すごくよくわかる気がする。なよなよしている奴は、マゾヒスト気質だって当てはめられる。なぜ当てはめられるかって、大体の行動に「なよなよ」が付随する。そしてそれがイメージとして定着する。

僕の場合、その日その時によって自分が変わる。確固たる自分のイメージが僕にも無い。昨日は強い僕で先生の批判をしていたけど、日付が変わると、クラスの不良にいじられて情けない姿の自分もいる。

そのせいで、気質判定をしていた彼も出せなかったんだろう。

 

何故なんだろうって思うと、母がそういう人だった。

弱気な部分をなるべく隠してくれてはいたけど、隠れていない。ある時は強気。同じマンションで気にくわないことがあれば、仕返しをする。でも、それはずっとじゃなくて好きな男性といて、なよなよ可愛い母もいる。

いまだに、母がどういう人かって聞かれたら即答できない。

「兄とスパイスのうにゃうにゃで~」って言い淀むと思う。だから聞かないでくれ。

 

 過去の記事で、自分に対するダブルミーニングを許そうって話を書いた。

yashimaryoz.hatenadiary.jp

 

自分にも他人にも、一貫したことを求めずにいれば楽ちんだよって。

けど、人には限界値がある。妻の人としての振れ幅値が10だとしたら、僕のが1500くらいありそう。

そういうこれまで自分とお付き合いしてきている。もうちょっと自分に対応できるようになりたい。

そんで、脳内監督に「自分に自信を持って、生きているシーンをやります!」って言ってもらえるようにする。