僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

血流で大きくなるアレ、すごい

心臓が肋骨らに囲まれたスペースから飛び出てきそうである。

ドキドキもしているのだけど、単純に動機がするんじゃなくて、心臓が胸の皮膚を突き破って手のひらにぼとりと落ちそうな感覚。

不安由来なのか、期待由来なのかわからない。手指が会いたくて会いたくて震える状態。

 

人は情動に体を支配されていると思う。僕の震えもその1つ。

21世紀なのに、ボタン1つ押したら、コーラが届く時代なのに、人はまだ情動と一緒に生きている。面白い。

 

ポルノを見ると、陰茎にある海綿体に血流が集まる。普遍的な体の反応。

画面上の女性と性行をしたいって欲求の表れで勃起する。

僕は、30歳だけど今でも好きな人と手を繋いで歩いたら勃起すると思う。

ポルノを見た反応も、手を繋いで出る反応も、彼女を性行の相手としたい、って欲求。

 

怒りに例えるとどうなるだろうか。

怒りは、相手に対して怒る感情。

勿論、自分に対して怒るっていうのもあるけど、基本的に他者との関与・介在が無ければ、そんな感情は起きない。

 

2ちゃんねるアスキーアートで、カンガルー同士が喧嘩をしている絵の上に「争いは同じレベル同士でしか起こらない」と書いたものがある。

これが僕は好きで、怒りそうになった時に思い出す。

怒る相手だと思うから・分かってもらえると思うから、怒る。ポルノに出ている女性と性行をしたいって思うから、勃起する。

それらはどうやら一緒。

よく考えると、ポルノで反応するのって面白い。だってスマホの画面から出てこない女性に興奮するって、めちゃくちゃシュール。それくらい、性欲に支配された脳はバカになるんだろう。

 

性欲と怒りは似ているなって思う。

相手とセックスをしたいから興奮する。相手に何かを望むから怒る。どちらも他者がいないと起こらない体の反応だし、どちらも一時的なI.Qの低下を伴ってしか、起こらない。

 

ああ、なんて愛しきかな、欲情と怒りという情動。

アイロンがかかったシャツを着て、革靴をコツコツ鳴らして歩いているおじさんも、お洒落なショップでガウチョパンツを買っている彼女も、怒りと欲情の前には等しくバカになる。

これが愛しくないと言ったら、なんと言おうか。