僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

根拠の無い自信

オードリーが気になってしょうがない。最初は若林の繊細な部分に共感して気になっていたけど、ダクト飯や、プロポーズ10日前の浮気、むつみ荘に暮らし続ける等々、奇人っぷりが僕の心を掴んだ。

 

 

(テレビ的な部分はあるにせよ)世の言う奇行は、彼の中の普通なんだろう。確固たる自信が成せる、自分への疑いの無さが面白い。

そういえば先日会った友人も、奇行は無いにせよ謎の自信に満ち溢れている。

大して容姿が良いわけでも、スポーツができるわけでもない。学力もある方だけど、秀才では無い。

中学校時代、学校祭で彼も含む僕らのチームはやったことのないダンス、それもマイケルジャクソンのスリラーをやることになった。

当初、足を怪我していた彼はダンス練習を見学していたけれど、徐々に治ってきて、どうしようかとなった。彼は真っ先に「じゃあ真ん中でスーツ着てるマイケルジャクソンやるわ」と言い出した。そもそもそのpvではスーツ着た人なんてでないし、マイケルもゾンビになって踊る。

彼は高い音が出ないから歌うフリをするという。真ん中で、スーツ着て。

そうして本番、彼は絵の具でぐちゃぐちゃにしたボロボロのシャツを着たゾンビを従えて、1人綺麗な格好をして見事に口パクをやりきった。

彼に問うた。お前の自信はなんなんだと。父親も母親も普通の人だろと。

すると彼は「きっと変なんだろうね」と笑った。そして「学力も見た目もスポーツもトップじゃないけど、それら全部が俺くらいできる人いなくない?」と言った。

これだ、自信の正体は。謎の自己採点。唇がちょっと赤めなのも、ファッションセンスが皆無なのも気にしていない。優れたポイントにしか着目しない。他人の評価は他人で、自分は自分。

自信というのは、「100億円持っている」「上場企業の社長である」「J1クラブのサッカー選手である」というのは、肩書きであって、それの正体じゃない。根拠のない自信が自分を支えていて、そこから肩書きなどの上積みとなる。

自信は、女性にモテる要素でもある。彼は、大した容姿でないのに(失礼)可愛い巨乳美女と今付き合っている。それも彼の自信を育んでいるんだろう。

 

自信は、「自分が自分である」という根拠のない類のものと、お金や肩書きなどのステータスによるものに類別される。

他人からすると、見えやすいのは後者であって、自信=ステータスという図式と捉えられやすい。

きっと、その図式は間違っていて、根拠の無い自信があって、それがステータスとなったが正解。

 

ふろむださんは、実力や結果は、運によるものが大きいのに、他人は勝手にすごい人だと勘違いしてくれるから、その人の威光がより大きくなるという。これが「錯覚資本」。

 

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

 

この本、他で書いていない内容が沢山書かれていて、しかもその根拠が学術的にあるのがすごく面白いし、信頼に足ると思う。だから読んでみた方が良い。

ちなみに僕は、表紙の絵が気に食わなくて、存在を知ってから長いこと手に取れなかった。ブログで前半部分を無料公開しているので、読んでみて人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている - 第一章 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ

先に書いた、自信=ステータスというのは、錯覚資本を用いて書くと実力=ステータス(と錯覚してもらう)

きっと友人も、春日も誰かに売りつけるような自信があるんじゃなくて、素朴な原始的な自信。それが大事で、それを僕がすごい!と勘違いするから、彼らはより自信を深める。

そうやって雪だるま式に、人は成長を遂げていくんだなと考えた。