僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

「選ばない」は選べない

百田尚樹さんの「逃げる力」を読んだ。

 

逃げる力 (PHP新書)

逃げる力 (PHP新書)

 

 なんかもっとポップな絵が描いてある表紙だと思ったけど、amazonnではスキンヘッドのおじさんが走っている写真になっていた。多分この表紙なら読まなかった。

この本の骨子は、プライドや損得、その他諸々のことを含めて、ダメだな!と思ったらすぐに「逃げて」自分の命を守る選択をしなさい、ということだった。

 

僕がよく行く中華料理屋さんでは、自由組合せという定食がある。ちなみに、「中華料理」と「中国料理」の違いは前者がジャパナイズされたもの(ラーメン、ギョウザ等)で、後者がオーセンティックな、トラディショナルな料理屋さんのことを言うらしい。

林修さんがテレビで言っていた。

 

そう、それで自由組合せの話。4つのメインと4つの副菜の中から一つずつを選ぶ。当然日によって内容が異なるから、肉が食べたいなと思って行っても、無い事はあるし、魅力的なメニューがありすぎて選べない!という日もある。

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こういう感じで、左からひとつ、右からひとつ選ぶ。

この日僕が選んだのは、上から右列2つめと左列一番下。

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肉だらけで最高だった。

何が言いたいかって、食べたいものが無いときも、ありすぎる時も「選ばない」という選択肢は、選択肢にない。そりゃそう。

店を出る、2つ定食を頼むという選択はあっても、選択をしないという選択は無いってこと。僕はこの店で迷った時は、またこればいいやって思って適当に選ぶ。前回は外したけど、前々回は大当たりだった。そんなもん。

もうちょっと普遍化して書く。

物事を選択する、選択行動は僕がいうまでもなく沢山ある。

でも、「選択しない」はあり得ない。仕事をしないのも、車を持たないのも、「しない」という選択。消極的とはいえちゃんと選んでいる。殆どの人は、自分で選んだ状況に、現在もこれからも置かれている。

よく、「世の中は思い通り」とか「引き寄せの法則で願望実現」みたいなのがあるけど、上に書いたようなことなんだって僕は理解している。

ただ、厄介なことがある。「他人に任せる」という選択だ。

これが1番危険で、ドツボにハマりやすいし、温くて甘くて美味しい。

表向きには、選択をしないという態度で、実は他人の選択を待ち続ける状態。判断に伴うストレスや、必要な情報を提供はしない。だって任せたから。

クリーニング屋さんにお金を渡して、シャツを預けたら、素人にはできない技術を使って自宅にはない設備をつかってシャツをパリッと仕上げてくれるんだろう。

でも、他人に選択を委ねる人は、恐らくその自覚が無い。ただ待っているから。

そして、他人が選択した尻馬に乗る。やっと来たな!遅かったな!なんていいながらぴょんって乗る。

ここまでなら、選択した人が我慢すれば良い。でも多くの場合、自分で選択をしていない行動は、不満が出る。

人は他人が選んだことに対しては、必ず文句を言う生き物だから。自分で決めていたら、多少の不満があったとしても我慢ができる。でも尻馬に乗った人は、自分のものじゃないから、簡単に貶せる。

自分の描いた絵はよく見えても、他人の描いたものは粗探ししたくなるのが人間の性。

さっきも書いたけど、この他人に選択を委ねる人と請け負ってしまう、不幸の構図は、多くの場合どちらも自覚が無い。

このようなケースは悲しくて、レアな事故のように見える。でも「実存は本質に先立つ」じゃないけど、世界にはびこる普遍的な問題だと思う。

だから、気がついた人しか変わるしかない。見えない人には絶対に見えない世界が確実にある。

 

実存主義とは何か

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