幸せでいる責任
植松努さんの「『どうせ無理』と思っている君へ本当の自信の増やし方」を読んだ。
植松さんは、北照大学(我が生誕地北海道の大学!)のTEDみたいなので喋っていた内容が素晴らしくて、フォローしている。
Hope invites | Tsutomu Uematsu | TEDxSapporo
これ。すごく良い動画だから見てほしい。
彼は、訛りなのか独特な口調なのか分からない語り口で、淡々と「どうせ無理」は絶対違うんだって怒ってくれる。ちなみに書籍でも喋りと同じ口語文で書かれているから、一度音で彼の声と独特な喋り方を聞いてからだと、すごく読みやすい。
僕は上田に夢を持ってきた。
色々あるけど、最初ものすごい批判というか、嫌がらせに近い仕打ちを受けたと思っている。もちろん素敵な人が多かったけどね。
とある信頼できるなと思った人に、〇〇がしたいんです。と言ったら「じゃあそれに見合うだけのお金はありますか?信用は?」と突っ返される。さっきまであんなに仲良く喋っていたのに、夢を語るだけで豹変する。
今考えると、何も知らないがゆえの純粋さで夢を語る僕が羨ましかったんだと思う。「俺は現実を見て、こんなに苦しんでいるのになんでこいつは夢なんか語りやがるんだ」って。だから、現実っぽさ界最強の「お金」を持ち込む。
そりゃそうなんだけど、やっぱ違うと思うのよね。お金が全てとも思わない一方で、お金が無くてもいい!なんて思ってない。どっちか一方だなんて暴論でしかなくて、理想もお金もどっちも必要。他人が言う現実なんて、ネガティブな意味しか込められていないから聞く必要は無いと思う。
youtuberのヒカルも最近言っていたけど、ハンターハンターの強制2択って往々にして起きる。金が無いならできないだろ?ね!?そうだよね!!???みたいな。
一方で、「現実っぽさ」を伝えられた僕にも、要因はあると思っている。
あの不動産屋さんも、あの場所であんなことをしているあの人も、僕を羨ましいと思う反面、僕が内心抱いている「このままじゃいけないよ」みたいな気持ちを、汲んで僕に教えてくれていたのかなと思う。
表情とか、言葉の端にそういうのは必ず出るから、そこに自分(僕じゃなくて相手ね)のストレスを乗せて、僕にドーン!!っていうのが本当のところだと思う。
よく考えたら僕は理想のために死ねると思う。健康のためなら死んでもいいと思っているタイプ。その理想っていうのは、何もテスラに乗ることじゃなくて、から揚げを食べて笑っている自分も含まれる。フットサルで良いパスだして、悦に浸る僕もそう。崇高っぽいものも、くだらないっぽいものも、僕が好ましいと思えば等しく同価値。
最近、アダルトチルドレンについての本も読んでいる。
色んな本があって、内容は様々ある。この「アダルトチルドレン 心地よく生きるために」では、「不快感情の転嫁」という言葉が出てくる。
何かしらのストレスとなる事柄は、当然様々な要因による。それを違う形で相手に思い知らせたいという欲求が「不快感情の転嫁」。
これは恐らく世の中のいざこざの殆ど全てをカバーする概念だと思う。上田に来た時のいざこざもそれ。きっと僕の知り得ないなんかがあるのよね。
朝の満員電車でイライラして傘がぶつかっただけで怒るのは、きっと会社に行きたくないから。
もうちょっと掘り下げてみると、結局、どうしたって家庭の問題に行きつくと思う。
上記の例でいえば、行きたくない会社なんて行かなくていいはず。違う仕事を探すなり、自分で仕事をするなりなんなり。
でもそれが出来ないのって、「仕事は苦しいもの」とか「お金は苦労して稼ぐもの」とかっていう刷り込み。その刷り込みって、親が苦しむ姿を見せていたり、あるいは直接そうやって教えられたから、素直な子供の脳に焼き付いているんだと思う。
だから、だから幸せで居なきゃいけないと思う。まず母親が。子供が納得する形で幸せだって刷り込ませなきゃいけないんだと思う。〇〇君はすごいね~っていう受容も大事なんだと思うけど、まず母親が幸せでいること。何度だって言う。まず母親が幸せでいること。
〇〇すべき、とか〇〇しなきゃとかっていう言葉はあんまり好きじゃないんだけど、広い世の中で唯一「すべき」なのは「幸せでいること」なんだと思う。
根拠のない自信が大事と書いたこともあるけど、自信の根拠は母親にあるはず。母親が幸せだから、子供は自分が自分のままでいていいんだって思う。そうやって成り立っていると思う。
そう考えると、大変な家庭って多い。僕の言っていることは大変厳しいと自覚はあるし、見る人が見れば滅茶苦茶だって思うのも分かる。親だって、親がいて、色んな環境やらなにやらで大変。けど、それは子供を産む自由に伴う責任。
このシステム、名前を付けたい。