僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

トラウマ必死

1人でいることが多い。一日誰とも喋らないことなんてざらにある。

孤独感があるかと言われれば、無いとはいえない。というよりも、何か嫌なことが起きた時誰かに話したくなる。それがなければ、喋る必要なんてないし自分と対話をしているから、暇なんてない。自分勝手。

 

今日は、誰かと喋りたい日。昨日、壮絶っぽいことになったから誰かに打ち明けたい。

これが甘えというものなのかな、って自分に問うてみるけど喋りたいは喋りたいでしかないから、甘えだろうと何だろうと喋りたいものは喋りたい。

でもすぐ自分の中にある、「これでいいのかなセンサー」が働く。

「甘えなんじゃないか」「格好悪いんじゃないか」「話したら悪いって言われるんじゃないか」等々、自分の中にある社会性みたいなのものが邪魔をする。

 

 

 加藤諦三さんの「自分に気づく心理学」を読んだ。

自分に気づく心理学(愛蔵版)

自分に気づく心理学(愛蔵版)

 

 トラウマやら何やらに縛られている人は、行動の動機が依存(優しくされたい、受け入れてもらいたい)であるから、上手くいかない。だから、まず自分が何に捉われているのかを把握することが大事だよね、と書いてあった。

トラウマとかに関しては、この本で少し学んだ。この本にも、トラウマを理解することが大事と書いてある。認知行動療法など、実務的な内容。こういう本も面白い。

 

 動機が人に甘えたいだとうまくいかないよ、っていう文章を読んだとき、心の中で「ああーーーーー!!!!」これやんけ!!僕の甘えちゃってうまくいかないの!!!ってなった。僕の場合、母親が精神的に不安定で、求めるような愛情を注いでくれなかったから、それがきっとトラウマ。

大学院の時、同級生と距離感のことで揉めたり、韓国人と付き合った時になんかお互いが見ている視点がずれているって思っていたのは、これなんだと思う。今となっては良い思い出だけど、そのことに気づかせてくれた2人、マジサンクス。体張らせちゃったね。

 

心が過去のこと(僕の場合母親に育てられた時)に向いているから、そもそも会話ひとつすら成立しなくなっちゃうのよね。会話って、会話するために行うもので、その中で「分かり合えた」とか「うまくいった」っていう結果が出る。

でも、動機が甘えになっていると、少しでも受け入れられないと分かった瞬間に、不機嫌になっちゃう。構造の不一致がスタートの時点で起きているから、そのように始まった会話は、「甘える」と「受け入れる」という構造でしか成立しない。

たまたま、相手が受け入れ上手であったとしても、それはかりそめの受け入れであって、僕が求めている「母親に受け入れられたい」では無いから、渇望感は続く。

これに気が付いた時、頭の中で「ふぉおおおお!!」って言った。お店の中じゃなかったら叫んでいたと思う。それくらい、論理的にカチッとはまった。

 

トラウマなんかは数えればいくらでもあるし、誰にでもきっとある。それを他人は理解できない。理解しようとすることはできるし、傾聴をして納得をする答えみたいなのを話すことはできる。

通常の会話で、トラウマがあるか無いかなんて分かれない。絶対分かれない。あること自体は理解したとしても、相手の脳の中にある映像をスクリーンで見て、副音声で解説をつければ理解はできるかも。まぁそれくらいしないと分からないし分かれない

僕だって話を聞いてほしいことはある。けど、それをするときには相手を選ぶ。僕のそういう側面を理解している人でないと、「へ?」どうしたの?」ってなるから。

本当は、世界中のみんなに僕の思想も苦しみも100%理解してもらいたい。でもどうやらそれは難しい。だから、相手を選ぶ。そして「聞いてほしいだけなんだけど」

って言ってから話す。

 

このトラウマと甘えの構造をもっと視野を広げてみると、殆ど全ての人の行動原理になっているよなと思う。

脱税(?)で報道されている青汁王子は、「北海道の片田舎で冬の寒い中パチンコに並んでいる人達をみて、こんな風になりたくない!金を稼ぐんだ!」って思ったらしい。

青汁王子が良いとか悪いとか言うつもりは全くないけれど、脱税で報道されちゃってる。詳しくは知らないけど、「お金がない」っていう類のトラウマがあるんだろう。

 

知り合いの社長をしていた昔気質のおじさんは、恐らく母親に見捨てられた孤独を打ち消すために、仕事に励みまくったはず。それで成功したからすごい。

 

きっと、トラウマを糧にして仕事をするのは避けられないと思う。だってそれ以外にどうやって自分を奮い立たせるんだって思う。よく言う例えだけど、古代人は動物を恐れているから道具を開発したし、飢餓を恐れているから農耕技術を育んだ。恐らく、人の行動原理は昔から変わっていない。怖いから、何かをする。それが事実なんだと思っている。

ただ、それをする際に、自分の気持ち(トラウマや怖さ)を理解しているかどうかは、その過程のしんどさに正比例すると思う。だから大事。

 

自分を大事にするって、自分を他人に分かってもらおうとすることじゃなくて、自分で自分を大事にできる行動を選択すること。それの第一歩が、自分で自分を分かることで、自分の気持ちを理解すること。

それが出来ている人は、朗らかな顔をしている。分かってもらわなくてもいいし、受け入れてもらおうとしていないから。必死じゃない。