僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

合わせ鏡

僕らの父親世代の人たちが20代~30代の頃って「カッコつける」が普通だったと思う。港にあるロープをかけるビットに足を置いて、ジャケット片手にきらりと笑うイメージ。石原裕次郎。僕の父親は若かりし頃、写真を撮る時だけ二重にして映っていたらしい。祖母の姉に意地悪く指摘されていたのを母親から聞いた。木村拓哉がどんな人を演じても木村拓哉でしかないというのと、昔の「格好つける」は似ている気がする。

 

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1.はしがき

有名人なら誰に似ているかと聞かれたので、合コンで使うようなアプリをダウンロードして判定してもらう。エレファントカシマシの宮本さんだった。もっさ具合と眉毛の色味と肌の色が近い。朝鏡を見てそんなことを思い出した。駐車場で誰かの車に反射した自分を歩きながら横眼で見るし、エスカレーターに乗ったら自動で動く自分の姿を凝視する。ナルシストなのか、と言われると否定はできない。僕としては、晴れた駐車場での自分は周りから見たらどういう風に映っているのか、この蛍光灯が煌めいているデパートにいる自分がどんな感じなのか確認したい。あれ、これがいわゆるナルシストか。

 

2.鏡像段階

人は自分を映す鏡であるとよく言う。自分の気分が良ければ目の前の人が素敵に見える。その逆も然りで、この人はどうしていつも機嫌が悪いんだろうと感じていたら、自分がそうだった。ってことはあると思う。人はどうやっても自分のフィルターを通してしか世界を見ていないし、その透明度は質的に変わることはあっても「前より綺麗になって世界が良く見える!」はハズキルーペをかけた舘ひろしの視野の中でしかあり得ない。これまでと違うフィルターが出来上がっただけのこと。神様がお創りなすった世界じゃなく、自分が見た世界があるだけ。デカルトはすごい。

子供が自我を確立する過程で、鏡像段階というのがあるらしい。鏡に映った自分を自分であるとみなすようになる時期。それまで母と自分の区別が無い母子同一。鏡に映った自分(らしきもの)を「これはあなただよ」と母親に教えられることで、自分が母親と区別のある存在であることに気が付き、自我が確立していく。

このようにまとめると「自分が自分である」ことは、簡単で自明のように見える。肉体として同一でないことは明らかだったとしても、精神的に独立独歩することは容易でないことのように感じる。というのも、母親は子供が大事。子供は母親が大事。であるがゆえに、世界中で誰が批判しようとも味方でありたいのが人情で、その思慕の感情が時として鏡に映った自分の像を歪めてしまうことに繋がると思っている。

 

3.ビューティフルワールド

家族は世界で一番大事。美しい価値観。僕もそう思っている。沢山いるハイタッチし合うブラザーよりも家族が大事。なぜなら一番近くの存在だから。今でもそう思っているし、これからもそう。

母親と子供が価値観を共有して、その世界の中で生きていける人はいる。幸せだと思う。一番の理解者であって欲しい母親を理解でき、自分も理解が出来る。ミニマムな幸せ。丁寧な暮らし。幸せって、いつの時も自分と他者との世界が出来上がった時に訪れる。自分と他人が融合し合う蕩けるような時間。いつまでも続けば良いなって思う。母親を求める子供と子供を求める母親のマッチング。何の疑いも無い美しき世界。

ただ、その美しさは万人に平等にとはならない。僕だってそのビューティフルワールドに住民票を移したいけれど、その資格が無い。切符は母親と「合うか合わないか」。

ビューティフルワールドに移り住みたい欲望は即ち、母子同一への欲望であると思う。おじさんが何を甘えたことをぬかしてるんだと憤りのことだろう。批判の気持ちをどうか静めて、もう少しお付き合いを。

僕から見ると、世の中の寂しそうな顔をしている人のほとんどが母子同一の欲望を解消できないから、かみ殺し見ない振りをして、日々の生活に埋没している。その原因となるのが、母子同一への欲望だと思う。寂しい目をしている人は、母親からの愛情が不安定であったなどの問題を抱えていて、母子同一から独り立ちが出来ずに、過去のことをひきずって苦しんでいるんだと思う。

 

4.醸す

この問題が簡単でないのは母親だって1人の人間であること。育児に専念できる精神的、物質的な環境が整っていて、子供がどうであったとしても受け止められる余裕がある状況にいる人はそんなにいない。むしろギリギリの中で育てている人の方が多いような気がする。だから、鏡が悲しみを帯びる。悲しみを帯びた鏡からは悲しみが噴出して、定着する。悲しい母親を僕が助けなきゃ、悲しい子供を私が助けなきゃ。合わせ鏡が無限に見えるほど連続してその姿を映し合うように「助けなきゃ」と「悲しみ」が連鎖する。

望むべきは母親が幸せで居続けること。幸せを見出す人であれば事態は変わる。まず、自分が幸せであろう。幸せだって口で言うのもいいけど、まず幸せだって雰囲気をぷんぷんさせたい。ネガティブの方が伝染力は強いけど、弱くともコツコツ幸せを醸し出していこう。それが始まりな気がする。