僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

怒りの処し方

今日は、フットサルのゲームシャツを着て外出をしてみた。サッカージャンキーという犬のロゴが可愛いブランドの白いシャツ。

寒くなったら困るから、赤・緑・青などが入ったチェックの麻のシャツを持参してきた。冷房が効きすぎていて、寒いからそれを着ているんだけど、どうやら暫く着ていなかったから体が痒くなる。とくに襟元のあたりがこそばゆい。

この感覚分かる人いるんだろうか。カビっぽい服を着ると、途端に肌が痒くなるやつ。

 

普段は、シャツを着ていることが多いんだけど、今日に限ってスポーティーにしたのは理由がある。まぁひとつは当たり前だけど暑いから。14時くらいから気温が上がって、夏らしさが出てきた。この気温で長袖シャツを着るのはしんどい。だから、半そでだな。あ、そういえば前会った外国人、サッカーのユニフォーム着ていたな。よし、マネしよう。そんな思考の流れ。

 

 

オシャレと思っても体が痒くなるように、毎日色んなアクシデントが起こる。

今日は、洗濯をしたんだけど、雨が降りそうだから外に干したらめんどい。だから自室に干すことを試みる。部屋の中が洗濯もの臭くなる。だめだ。

ひとりで「どっしよーーー??」って言っていたら、日差しが急に出てきた。

僕の中で、洗濯ものを干して、そこから移動させるのは面倒。なんで一度決めたら動かしたくないっていうマイルールがあったんだけど、洗濯ものが乾かないよりかは乾いた方が良い。ベランダに干した。

そうしたらみるみる乾く。1時間くらいでほとんど乾いちゃう。扇風機とかで策を弄していたのが馬鹿みたいに暴力的に乾く。

もう出かける時間になったから、自室に洗濯ものをひっこめる。外に出すと出さないでは、乾く時間が全く違うし、パリッとするだろう。動かすのもそんなに大変じゃない。

 

そんな洗濯事情を世界に発信したいんじゃない。言いたいのは、そういうアクシデントが起こった時の感情の処理。

 

機嫌の良さが基本的には大事だと思う。これは何度も何度も言っている。体が痒くても、眠れなくても、洗濯ものが水たまりに落ちても、笑えれば大した問題じゃない。体は掻けばいいし、眠気はコーヒーと昼寝。洗濯物はもう一回洗濯。それだけのことだから、怒る方がしんどい。

でも怒ったり、不機嫌になっちゃうときって人には必ずある。1人でそうなるのならば、ベッドで悶えていれば良い。でも他人にぶつけちゃうときって、思考を辿っていくと必ず自分の思い込みとか、トラウマとかそういう自分の心の中の課題が出てくる。

まぁ、僕だっていきなり殴られて「親に殴られたから、にやにやしてるお前が気にくわなかったんだ!!」って言われても納得はしない。殴り返したい。

同じ理由で、他人の僕が「怒るのは、自分の未熟さじゃ」なんて説いても、誰が理解するんだって話。説法なら、比叡山とかの偉いお坊さんから聞いた方が良い。

 

超越と実存 「無常」をめぐる仏教史

超越と実存 「無常」をめぐる仏教史

 

 ちなみにこの南直哉さんの「超越と実存」、面白い。こういう人が語る言葉には説得力があるんだろう。20年の修業を経ているらしいから、「うまい棒は、、、うまい。」って言ってもすごみがあると思う。

 

僕が言いたいのは、システムの話。きっと人の心のシステムは割と共通項が多い。細かいレベルまで掘り下げると、具体的な体験やその人の観念等々、同じことなんて一つもない。まぁ当たり前。

「心のシステムとしてこういうようになりがちだよね」は、共通理解が取れるものだと思っている。そのシステムを抽出したりして、書いているのがこのブログ。

そんで、さっきの話。

他人に対する怒りは、甘えで、自分の中の課題で、自分が他人に対して羨ましいと思っていること。絶対そうなっていると思う。

更に、他人に対しての怒りが大きければ大きいほど、心の中にある大事な部分についての怒りだし、大事がゆえに触れられない(触れられたくない)部分。

僕は「分かってもらうこと」に対して、きっと莫大なトラウマみたいなのがあったようで「分かってほしい」という気持ちが物凄く大きくて強い。だから、僕が勝手に「分かってもらえるはず」と思っている人に「分かってもらえなかった」時の怒りや悲しみは尋常じゃなかった。過去形で書いたけど、今はその処し方が少しわかっただけで、無くなったわけじゃない。

そんでね、その処し方が大事だと思う。

疲労困憊によるパターン化の学習が僕には大事だった。

 

僕だけかもしれないけど、怒る時は毎回本気で怒るし、悲しむ時は本気で悲しむから結構疲れる。ゴジラが火炎放射(?)を出すのって結構パワー使いそうでしょ。それを何時間も出し続けるイメージ。めっちゃ疲れる。

数回だと感情の方の動きの方が焼き付いて体までに意識がいかない。でも、何回も何回もやっていると心も疲れているけど、体も同じくらい疲れているんじゃないとなる。

そうして、次に感情が大暴れしたとき、「あれ、これ前にもあったんじゃね」ってなった。「というか、これ子供の頃からめっちゃやってるやつじゃない」と。

こうやって僕はパターンを発見した。30年以上かかった。

僕は、話をちゃんと聞いてもらえなかった時。それも家族の人に。それが僕の怒りポイントで悲しみポイント。体力が尽きるまで怒って泣いて寝ちゃうか、物に当たったりしちゃうほどの強い怒り。

きっと小さい頃から数えて、大げさじゃなく2000回はこれで苦しめられたし、大泣きしていると思う。

 

パターンが見えてあぁいつものやつだ。となる。心の中が怒りで満たされていても、ちょっとだけ俯瞰ができる。怒っても意味ないし、疲れるだけだよ。って昔の自分が教えてくれる。

じゃあ実際にこれから怒りを対処したい人はどうするべきだろうか。

内省をおすすめしたいけど、結構果てしない道のりだし、怒っちゃった時に「あんなに内省したのに」っていう感情の揺れまで追加される。紙でもいいし、wordでもいいし、スケッチブックでもいいから、思うがままに言葉を書いてみるのが良いと思う。認知行動療法よね。

それが難しかったら、絵とかそんなんでも良いと思う。好きな人だったらレゴとかでもいいと思う。ダンスも多分大丈夫なはず。型があるものじゃなくて、自由なやつが良いと思う。

とにかく心が表現したがっていることを、体を使って出すのが大事。

あ、自分と自分で会話するのもおすすめ。1人でいる時が良いと思うけど、自分に「なんでこんな怒っちゃったんだろうね~」って聞く。「いや~わかんない」。なんでもいいから自分で答える。

そうやって自分の理性を外した答えを引き出す。難しく考えたらだめ。

 

紙の上だけでも、パソコン上でも、自分との会話でも、自分の思う通りに表現したら、急にヘラヘラするくらい機嫌良くなる。本当だから試してみて。