僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

愛着障害と愛と安全基地

 

お盆にやった小旅行の間、すごく良い本に出会った。これからその本についてあれこれ書いていくんだけど、中々の読みづらさになりそう。これまでやってこなかった小見出しを付けようと思う。

 

  1. 愛着障害」の内容について

旅のお供になった本は、前にも載せた気がするけど、岡田尊司さんの愛着障害シリーズ。

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

 岡田さんは前から読んでいたけど、改めて読むとすごく画期的な本だと思う。この愛着障害シリーズは、「愛着障害 子ども時代をひきずる人々」「愛着障害の克服 『愛着アプローチ』、人は変われる」「回避性愛着障害 絆が希薄な人たち」の3つ出されているシリーズ。

 

岡田さんが「愛着障害」で言いたいことをすごくざっくり3点で要約すると

①種々の障害や不安や焦燥など、精神的なつまずきが起こる人の多くは、幼少期の愛着に問題があることが要因である。

②その愛着の問題は、世代間を通して連鎖する。愛着に問題がある家庭で育った子供は、自身の子供も愛着の問題が生じるケースが多い。

③それらの問題を改善するのは、当然、愛着であり、それを育むのは要件は、当人の「安全基地」となる人の存在である。

 

 2.安全基地とは

①と②までは、当然だよねと思いながら読んでいた。

愛着障害と言う言葉は知らなくとも、中学校時代から「この人のお母さんはどんな人だろう」って頻繁に考えていたし、「きっとこの人の親に愛されてなかったな」って会う人会う人に思っていた。

そういえば、仲の良くなった人には、親がどんな人か聞くことが多い。当人がどんな人なのか一番知ることのできるものだと思っているから。

この間長野に遊びに来た友達にも「●●のところって普通の親だよね???」って聞いた記憶がある。それくらい生育環境が僕にとって大事だし、パーソナリティに影響するよなって思っている。

おおーって思いながら読んだのは、③の安全基地について書かれたところ。

このシリーズでは愛着を育むために必要な人の存在を「安全基地」と呼んでいる。そしてそれには5つの要件がある。

1安全感の保証

2感受性、共感性

3応答性

4安定性

5なんでも話せること 

となっているらしい。

個別の詳しい説明はぜひ本書を読んでほしい。こういうブログを読んでいる稀有なあなたもきっと必要にしているはず。

 

 3.「安全基地」と「愛」の関係について

僕は、この箇所を読んで、「全部僕が親にしてほしかったことだ!!!」、「元妻に求めてたことだ!!!!」って思った。

最近まで「コミュニケーションは一方的なもの」だと思っていた。相手の意図を汲んでも汲んでも、理解することはできない。分からないことだけが分かっていることだ、と。下手に察するくらいなら、一方的と一方的がぶつありあって、もし重なる箇所があれば嬉しいな、でいいじゃないかと。

 

けど、もし「安全基地」が愛着(愛)を伝える手段だとしたら、一方的と一方的で終わって良いんだろうか。というか、もし目の前に大事な人がいたとして、その人に、一方的な意見を垂れ流す(ちょうど僕のブログのように)ことが愛着(愛)なんだろうか、って疑問になった。

 

以前、友人と温泉に行った。その時、僕の窮状を話したら「それは八島さんが悪いですよ」と、軽く否定された。僕は、否定をされに温泉に行ったんじゃないし、教育してもらおうと思った訳でもない。

軽く憮然としていたら、その相手は「でも起こってしまったことだから、これからどうするかですよね」と方向転換をした。

僕が「一方的」に持論を垂れ流して頑なになっているのに対して、その人は僕の態度や言葉を見て、言葉に変化を付けてくれた。きっと、その場所で彼が言いたかったのは、「家族とは」「愛するとは」とかっていう格言めいたこと。けど、それを一旦収めて、僕が今傷付いていて、説教を聞く気分じゃないっていう態度を察し、言いたい言葉を変えてくれた。

あ、これが愛だし、これが安全基地ってことだ、って頭の中で繋がった。

 これまで書いてきた「愛するを考える」シリーズでは「愛する」ことは認めることとした。そして「認める」は「その人の役割や属性に気が付く」だと書いた。

この記事では、その場に応じたという意図は込めなかったけど、入れた方が良い。だって人は時に応じて変わるもの。

 

yashimaryoz.hatenadiary.jp

 

僕の憮然とした態度を見て「違うな」と気が付いて、行動をする。その一連の思考や言葉が愛なんだと思う。

気が付いてみると、簡単なことだと思う。邪魔していたのは、外国人信仰な気がうする。欧米信仰ともいえる。

僕の家では、コミュニケーションは言葉で伝えなきゃ伝わらないよ!だって海外では、愛しているよ、も好きだよも、全部恥ずかしがらずに伝えるんだよ!そうさ、我が家もそうやっていこうぜ!!みたいなノリ。実際のところは、恥ずかしがり屋。

 

欧米人だって、「愛すること」の全部が「愛しているよ」と囁くことだけじゃないって分かってるはず。その上澄みだけを切り取って、都合の良いように解釈していたのが僕の家族で、それをあらためて布教して、家族の正しさを証明しようとしていたのが僕。

 

 4.自分自身の親になる

本書の話に戻る。

本書では「安全基地」の存在が、愛着障害の克服には必要と書かれていている一方で、

親などの近しい人の支援が望めない人に向けて、究極の方法があるという。

それは「自分自身が自分の親になること」だというのだ。

紙幅としては2ページもない部分に、何か大きな気が付きがあるような気がしてドキドキした。

その晩、家に帰ってベッドに入った。眠れず、3時近くになった。もう、散歩でもしてこれからのことを考えようって思った。散歩は思考の整理にとっても良い。

真っ暗な住宅街を国道に向けて歩き出した。じゃあ、考えようか~って思う。僕の中の人が「今は考えがでないな~」って言う。

ここからが大事。自分自身が自分の親になることを思い出して、「今は考えが出ないな~」と思ったのがもし、僕の中の子供だとしたら素敵な、安全基地としての役割を果たしている親は何て言うだろうって。

「考えはすぐ出てこなくてもいいんだよ」だった。

声に出さず、自分に言ってみたら、体の中がじわ~っとして、焦りとか不安が無くなった。不躾なのかもしれないけど、女性の「濡れた」的な感覚なんだと思う。

 

自分の中にいる「子供」が発した危険信号に、自分の中にいる「親」で対応するのが、自分自身の親になること(=安全基地になること)。

次の日から、焦りとか不安が出てきたら自分自身の親の言葉を借りることにしている。

傍から見ると、多重人格なのかもしれない。気にしてない。おすすめ。