僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

心が好きな理由

DAIGOさんの超性格分析というアプリをダウンロードしてやってみた。

メンタル、協調性、社交性、勤勉性、チャレンジ力をそれぞれ10個くらいの質問に答えて、結果を見る。全部やったら自分のトリセツが出来上がるというシステム。

僕の結果は、メンタル以外の全部が高い。特にチャレンジ力が高くて、革命家や歴史に名を残す人物(!)だと。最後に出る5角形のグラフを見ると、メンタルのところだけ大きくえぐれている。

当たってるなと思った。

要は僕の課題は、メンタルの部分であると。

思えば小学生くらいからずっと心が大事と思っているし、母から教えられる全てのことを僕は心が大事なんだと受け取っている。それくらい、今でも興味があるのは人の心の部分で、一生の課題なんだと思う。

 

大学院時代、一応経済学専攻だったのだけど、興味があるのは哲学だった。

その頃は、ニワカ大学生に有り勝ちな、資本主義経済に疑問を持っていたからマルクスが師匠だった。

資本主義なんて、心を破壊するものでしかない。大企業が作ったルールによって人の心は統御されて、食い物にされる。利潤を目的とした活動の全てが怨嗟の対象だった。

大学自体も左よりの学校だった。僕のコンプレックスとか、甘えた心を満たすものがマルクスであって彼が書いていることを理解するというよりは、資本主義経済を指弾する箇所を見つけては、「ほらやっぱり資本主義が悪い!」と斜め読みをしていた。

 

資本論 (1) (国民文庫 (25))

資本論 (1) (国民文庫 (25))

 

 

そんな僕も一応就職活動はした。

受かる訳が無い。そもそも働きたくないし、利潤を目的とした企業活動も嫌い。それに人に指示されて8時間働くというのが想像もつかなかった。

唯一、最終面接まで行った企業がある。

某信用金庫。その会社の面接での方針は、素直な言葉を言っているかどうか。

最初の質問は「小さい頃の思い出を話してください」だった。1番に当てられた女性は「夏休みおばあちゃんの家で手伝いをしていました」みたいな内容。それに対して面接官は「その頃から、真面目で人に思いやりがあったんですね」という具合。彼女は嬉しそうにはい!と返事をしていたけど、これは泳がされているなと思った。僕は「幼稚園が自然の中にあるところで、羊のリリーちゃんがうんこをポロポロしていた。初めての水彩絵の具で、力加減が分からず紙が擦れてボロボロになった」という、なんとも言えないエピソードを話した。その場は盛り上がらなかったけど、大丈夫そうって思っていた。その面接はパスして、筆記試験。内容は忘れたけど、合格。

そして最終面接。いきなり、会社に入ってどんな風に貢献できますか?と言われて、フリーズした。「あ、、あの一生懸命やってあの、、、」くらいの答えに終始。当然落ちた。

それから、なんやかんやあり大学教授のツテで若者支援する施設に就職した。

そこでも、僕の興味の対象は(今考えるとだけど)人の心だった。

色んな団体が、部屋を借りに来る。心、以外で興味があった人は、自分で立ち上げて(施設のルール上ダメだけど)お金を取って何かを教えている人。雰囲気が違った。職員も味方に引き入れようっていう態度。そんな人には味方がいっぱいいて、いい意味で横柄で魅力的に見えた。

 

施設で定点的に観察していると、心の揺れが大きい人がはっきり分かる。僕の役目はそういう人に飛び込んでいくこと。

一緒にイベントをやって仲良くなり、喧嘩したり、焼肉を食べに行った。

とある、シンガーソングライターからイベントをやりたいと申し出があった。姉妹施設でやっていた「本音でトーク」みたいなので、それを僕なりにアレンジした。タイトルは「愚痴を昇華させる会」。

話したい愚痴を参加者が話して、アドバイスやら何やらを聞く。昇華した!と思ったらベルをチーンと鳴らす。これが1ターン。

ルールは、人の話しを聞く。否定しない。前向きであること。以上。

非常に面白かった。話すこと自体で顔つきが変わってくる人もいれば、自分だけが話していることに耐えられ無くなってすぐベルを鳴らす人もいる。

その前にやっていたイベントがある。「恥ずかしいポエムを作る会」というタイトルそのままに、ただポエムを作って発表しあって終わり。

それをまとめたものは、今でも僕の少ない荷物の中にある。時々しんどくなったら見返して、バカだなーって浸る。

 

あたりまえポエム 君の前で息を止めると呼吸ができなくなってしまうよ

あたりまえポエム 君の前で息を止めると呼吸ができなくなってしまうよ

 

 

こんな非生産的なイベントをやれたのも、それに参加してくれる人がいたことも今思えば有難い。公共施設ならではかもしれない。

ただ、僕が今書いているブログも、まだ発表できていないことも「愚痴を昇華させる会」「恥ずかしいポエムを作る会」からなんら変わりが無い。

心が大事でそれを表現しよう。そういうスタンス。

今までやって来たことを全て捨て去ろうとしちゃうのが僕の気質なんだけど、捨てようと思っても捨てられない部分が、心のことだったんだと今になって気がついた。

それっていうのは、母の心が不安定(に見えていた)だったことは要因だと思う。僕のメンタルは、DAIGOさんに診断してもらわなくても弱いと分かる。

だから「母救いたい」が僕のモチベーションの根源にある。今では遠く霞んでいるけど、それは変わらないと思う。

それが、格好いい車に乗りたい!っていう具象化されたものだったら、気がつくまでにこんなに時間はかからなかっただろう。

自分語りをたくさんしたから、アドバイス的なものも。

きっとほんとうに好きなことは、すでにやっていることだと思う。なんでもいいけど、何かしらあるはず。

金が稼ぐものじゃないからとか、恥ずかしいからとか、人に言えない理由はたくさんある。それでも続けているんだから、それは本当に好きなこと。絶対ある。そして、それをやって生きる道も必ずある。