僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

行動と結果

人生の3/1以上を悩んで過ごしていた。悩みプロフェッショナルからしたら、アマチュアなのかもだけど、僕からすると辛かった。

悩みって、思考が優先されている状態を言うと思う。ホリエモンは、まず行動だ!考える前に動け!と言う。「考えたら負け」でそんなことを書いていた。

 

考えたら負け 今すぐ行動できる堀江貴文150の金言 (宝島社新書)
 

 

だけど、悩んじゃうよね。まず行動だって分かってはいても、上手くいかない思い出とか、恥ずかしい経験とかが足を止める。

だから、もう既に悩んじゃっている人は、いったん何がしんどかったのか考えていいんだと思う。皆が皆、すぐ行動に移せたら良いと思うけど、そうじゃないのよね。

僕の場合、金を稼げ!!って自分に急き立てられている。でも中々結果が出せない。

それはなんでなんだろうって考えてみる。ちょっと長くなるけど、こういう思考になるまでの昔話を2つほど。

 

 

長野に来た時、まず仕事だ!と思って(この時はすぐ動いたのよね)やりたくもない工場で働いた。レジスターを作る工場。青い作業着を着て、工場内を台車を押して8時間歩き回った。

工場内には台車のルールがある。一方通行とか、決められたルートとか。

ひとつの部品を届けるだけのために、大回りして行かなければならない設定になっていて、順守する人はしていた。

けど、僕は、歩くの嫌だし、明らかに前から台車も人も来ていないって分かっているときは一方通行を逆走して部品を届けていた。偉い人も気が付いていたとは思うけど、特に何も言わない。

でも、あるおじいちゃんがそれを許さなかった。最初は「八島くんだめよ~」と軽い注意だった。僕は「はい~」と言いながら、まぁ建前だよね、うん。って思っていた。

それである時から、おじいちゃんが僕のことを避けているなと思った。僕の近くにいる時だけ、憮然とした態度になって、話しかけても反応しない。

最初はわからなかった。だって、逆走よ。安全安心の逆走よ。むしろ効率が上がるし、より良いよなって思っていたから本当に理由が分からなかった。

ある時、上司が「逆走、〇〇さんがやめろっていうから~」って注意なのか、何なのか分からない調子で僕に言ってきた。それで始めて気が付いた。「この人は、僕が逆走をしているから無視するんだ」と。

彼からすると、自分が守っているルールで、かつ新人がへらへらそれを破っていたら気分を害するだろう。それはわかるけど、無視するのか。

効率が~とか、安全が~とか言わないけど、その人はルールを守るためのルール一派の人間だったんだと思う。

気にしなければいいんだけど、もともとやりたくなかった仕事で、ジジイ(ここから呼称を変える)が僕にわかるように僕を嫌いですアピールをしてくる。嫌だったなぁ。

それから何か月か働いたと思うけど、辞めた。

正直に言って、世の中に絶望した。逆走したってだけで無視する人がいること、それを誰も止めないこと。その絶望がきっかけになって、長野の県民性も嫌いになったし(今では好きだけど)、田舎の全てが嫌になった。その頃はフットサルを始めた時期で、チームも上手くいってなかったから、「長野の人はね、意識が低いんですわ!!」って吹聴していた。ダセぇな自分。

思えば、札幌の時も仕事で色々あった。一年目、直属の上司は優しい人で何をやってもとりあえずは話を聞いてくれる人だった。それが2年目になると、所ジョージにヤクザをプラスしたような年配の職員が職場の上司になった。

その人は、基本的に立場が大事な人。立場が上であれば言うことを聞くし、下であれば聞かない。そういうスタンスだから、仕事はほぼしないで人生ゲームをしていて、怒る時だけイキイキしていた。

この仕事を辞めようと思ったきっかけがある。高校生のライブを企画する事業があって、それを彼に作成した書類と、なぜやるのか報告しに行った時のこと。

僕が彼の机の前まで行って、書類を渡す。足を組み眼鏡を下げてそれを読む。(読んでなかったと思うけど)。それでピンときてなかったようだから、この事業にはこういう素晴らしい効果があるんです。だからやらせてください!と説明をした。(今思えば「やらせてください」って態度も言葉も気に食わない)

すると彼は、書類を僕の方に投げて「あのな、やりたいならやれば。でも俺は知らない。それと、お前は話が長い」と宣う。

今なら、「ありがとうございます~~やらせてくれるんですね~~」と言うけど、その頃の僕はそんなに大人じゃない。何も言わず自分の机に戻って「絶対辞める」って決意した。

 

 

このようにして、世の中と働くおじさんたちに絶望した。

この頃の僕からすると、ジジイは何であんなに簡単に豹変するのって思ったし、所さんは何でこんなにわがままなのって思っていた。しんどくなるのが先なのか、しんどいアピール(=辞めるアピール)をするのが先なのか分からないけど、とにかくいやになった。

もし、人は鏡だっていうのが本当だとしたら、これらは何だったんだろうか。おじいちゃんは、僕の中の「ルール守らないと無視するマン」か」。所さんは「立場大好きマンと、仕事しないマン」だろうか。

これを書いていて分かったのだけど、僕は「仕事を真面目にやりたい」んだと思う。その真面目っていう意味は、工場で言えば「効率を上げること」だし、札幌の時で言えば「若者をいい感じに育てたい」っていう大義名分。

もしかすると、そんなのは建前で「好きなように自分で思った通りのやり方で結果を出したい」なのかもしれない。混在はしていると思う。

それで、結果が出ない。の話。今僕は結果が出せていない。特にお金という結果。

だけど、このブログを書いていること自体を楽しんでいるし、今の生活は基本的に幸せ。けど、自立はしていない。

自立が幸せなのかどうか、やってみたことが無いから知らない。きっと多くの人が自立したがっているから、幸せなんだろうけど僕はその例を知らないから想像することはできても、答えが分からない。ほんとにそう。マジでマジで。

 

闇雲に突撃~~!!ってやってみてうまくいかなかった経験がある。工場の仕事も、結婚も、そう。闇雲はやばいぞ!っていう脳内アラートが鳴る。

きっとやってみたら結果が出る。工場の職場は向いていないという結果がでたし、施設で上司の顔色を窺うのもできないという結果。結婚も、結婚自体が目的のものは向いていないっていう結果。

よく言う「結果が全て」は、僕なりに言うと、良くも悪くも出てきた結果を整理して受け止めて、次に活かすのが全てなんだと思う。

結果が出るのが行動で、結果をたくさん見た人は次に活かしやすい。あ、だから行動せよ!なんだ。納得。