僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

自分の在り処

とりあえず引っ越しをすることになりそう。東京。何がなくとも東京。

 

9月で上田に来て3年が経つ。

ずっとは居ないだろうと思っていたけど、予想より早かった。

上田に来たのは、古民家民宿みたいな場所を作ろうとして来た。もっと言うと、心が安らぐ、ただただ落ち着く場所を作って、来た人が自分自身を見つめて、自分自身に帰れる場所を作りたかった。

これが大義名分。

来る時も、来た後もしばらくは気付かずにいたんだけど、僕も元妻も、実家から離れる必要があったんだと思っている。どちらも両親に捉われていて、その影響受けていた。そこから物理的に離れることの意義は、きっと大きい。

だけど、その捉われはきっと今も続いている。それをどう断ち切るかというよりも、その捉われている自分を認識するための移住だったんだなと今になって思う。

来た当初は、田舎で嫌だった上田も、本当に住みやすい。スーパーだってたくさんあるし、美味しいお店だって探せばある。

心踊るような歓楽街は無いけど、飲んだ後に食べるにはバツグンのラーメン屋さんも知っている。

地元の人しか通らない抜け道だって沢山知っている。

タリーズとイオンの唐揚げ屋さんは、僕の心のオアシスになった。

教育県の長野だけあって、皆礼儀正しくて、不貞腐れた人はほとんどいない。

ど素人で始めたフットサルも、なんとかできるようになった。

いつか、なんて絶対に訪れないから、下手なことは言えないんだけど、いつか上田に帰ってきたい。それくらい愛着のある場所になった。

 

札幌でも上田であろうと、東京であろうと、僕が生きているのは、崇高な目的なんて無い。親との愛を世の中を媒介にして確かめる。そんなちっぽけなことなんだと思う。

それは恐らく、親そのものに対して行う行為じゃなくて、誰か他の人を通してそれをする。多分生きる理由はそれだけ。

できればお金持ちになりたいし、チヤホヤされたいし、情熱大陸にも出演したいし、高級ブランドでどかーんと買い物もしたい。

目的っぽい目的は無いわけではないけど、その根源にあるのが愛であって、親との関係になってくると思う。

いつか、そうじゃなくなって金稼ぎマシーンになるのかもしれないけど、今の僕はそういう風にできている。

最近まで、そうならなきゃいけない、全ては親に認められるために、僕が知っている親からの教えを世の中で検証しようとしていた。

31歳になってようやく、親からの教えをそのままじゃなくていいんだ気がついた。というよりも、論理としては分かってはいたけど、それを体現できていなかった。

だから、いつ僕は死ぬか分からないけれどもうすこしの間、親との愛について検証作業をすると思う。もちろん、「僕のこと愛してる?」なんて聞くんじゃなくて、僕自身のやり方で、世の中にいる人たちに向かって、訴えていくと思う。

それが無くなったら、死んじゃうと思うのよね。

そのやり方というか、心持ちが大事。

どうせ僕なんて愛されない、っていう態度じゃなくて愛されていたけど、ちょっとそのやり方が僕には向いてなかった。だから、育まれて来た僕自身も認めて、でも変わっていく自分も認めて、オリジナルにしていく。

なんでかって、僕は母親そのものでも無いし、兄弟そのものでもない、当然のように唯一無二の八島遼三郎という名のつけられた存在だから。

自分がオリジナルであること、自分が親や兄弟と違う生き物であることが理解できなかった。札幌にいた時も、上田に来てからもなぜ生きているのかを自問自答しまくった。答えなんて出ない。

ただ好きなことは、なんとなくあって人の心みたいな部分。恥ずかしくて言えなかったけどね。

大学院で哲学を勉強しても、友達といくらそういう話しをしても分からない、自分がどういう人なのか、どういうことに関心があるのか。

妻と離れることにして、追い詰められて、本を100冊くらい読んで、ブログを毎日書いてみて、2リットルくらい泣いて、自分と向き合って、僕が本当に大事なのは、心や愛であるってこと。

多分、小学生くらいからはそういう風に体は気がついていたような気がする。ずっとおざなりになっていたと思うけど、ようやく子供の頃の自分に辿り着けたような感覚。登頂成功したー!みたいな感じでなくて、あるべき場所にようやっと帰って来たような、居心地の良さ。それが体を覆っている。

 

僕は小さい頃から泣き虫だった。兄弟に馬鹿にされては泣いていたし、同じクラスのゴリラみたいな奴になんか言われては泣いていた。それが小学生高学年の頃になって泣かなくなった。家族にも「泣かなくなったね」と言われた記憶がある。

泣いていたのは、自分を分かって欲しい、自分が自分を分かって欲しいっていう欲求の表れ。自分が本当に興味があって、何がしたいのか、それに蓋をせざるを得ない状況が僕の「やりたい」を隠すから、太ったり痩せたりを繰り返してみたり、訳の分からないオシャレをしたり、迷走を繰り返していたんだと思う。

 

そうやって紆余曲折を20年以上して、ようやく元に戻れる気がしている。

僕がしたいのは、親との愛の検証作業。

不安は無い訳じゃない。

けどそれ以外の何であっても代用できなくて、それ以外のことは気休めで遠回りだと思う。

だから、たったそれだけのことに命を燃やそうと思う。