僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

女性はかわいい

女性のかわいさについて書く。

女性はかわいい、子供はかわいい、そんなことを色んな視点から。

どんな女性もかわいさは絶対あって、その表現の仕方が大事。視認する側は、当然受け止めるのが大事。ロジックとか、構造が分かれば怖いものは無い、はず。

 

f:id:yashimaryoz:20190830150723j:plain

 

1.はしがき

昨晩、心がえぐれそうになる話しをしたせいか元気が無い。コンビニの前で2時間。歩きながら1時間。きっと寒かったんだろう。

そんな時は自然に触れ合うのが一番よね、と思い自宅から40分ほどのところにある温泉へ行った。

行く途中で、以前勤めていた工場へ出勤する時の道に入る。「慌てるな なれたこの道帰り道」って書いてある看板が懐かしい。最初はバイクで通って、途中から自転車にして長い長い登り坂を、汗だくになって漕いでいた。帰りは逆にスイスイ。

青くダサい制服を着て、交通費の節約のために自転車に乗って、8時間働いて帰る。頑張るとかじゃなくて、仕方なく、訳も分からず辛いことを耐えていた。とにかく必死だった。

仲良くなったペルー人の女性を思い出す。ずんぐりした体型に、真っ黒でツヤツヤな髪。少し寄っていて二重の黒い目。40歳で20歳の娘がいるシングルマザー。恥ずかしがり屋で、でもそれが可愛かった。

 

B23 地球の歩き方 ペルー ボリビア エクアドル コロンビア 2018~2019
 

 

2.女の子はかわいい

温泉には夕方頃着いた。

お父さんと女児のセットが2組いる。珍しい。

変な話しだけど、女性のお尻って男性のお尻と全く違う。男性のお尻は単なる尾骶骨を守るクッションの脂肪って感じだけど、女性のそれは象徴性がその形に込められている。そんなことを考えていた。

1組の父娘は、イケイケな感じ。どちらも日焼けしていてお互いを叩いたりするような関係性。

もう一方は静かな感じ。小さい声で話してカップルみたい。出ていく時父が娘を抱える。足を父親に持たれて頭を肩に倒れさせている娘の表情はとても満足そう。

休憩所で座っていると、静かな方の父娘が前に座った。栗色の髪の毛を父がタオルで拭いている。娘はチョコアイスとバナナオレを飲んで「アイスを口に入れてバナナオレ飲んだらちょっとだけチョコバナナの味になる」って顔を近づけて報告。

おじさんはね、冷たい煎茶とあったかい煎茶どちらも飲んだよ。そのせいかお腹の調子が良くないんだなぁ。って報告したくなったけどやめておいた。

 

子育てをしたことが無いから分からないけど、娘がいたら死ぬほど可愛いんだろうなって思う。僕の兄には娘がいて、溺愛しているらしい。僕からすると、かわいい?本当に?って思う。自分の子供は絶対にかわいいホルモンがドバドバ。

僕は、温泉でもどこでも女の子を見るとかわいいなぁと思う。もし僕に子供がいたらかわいいと思う気持ちが掛け算になる気がする。

元々子供がかわいいと思う×親ホルモン=溺愛!

 そう、女の子は(少なくとも)僕にとってかわいい。そして多くの父親にとってかわいい。そして、父親がかわいいと思っているから、娘は自分をかわいいと思う。娘がかわいいと思う行動をとるから、父親もかわいいと思う。その良い循環そのものが愛ですよな。あぁ羨ましい。膝の上に娘を載せてアイス食べたい。

 

明治 バナナチョコ 37g×10個

明治 バナナチョコ 37g×10個

 

 

3.「かわいいい」は子供っぽさ、「かわいがられる」は子供扱いしてもらうこと

かわいいって子供っぽさだと思う。

昔の漫画で「私わかんな~い」っていっている女性に「ぶりっこか!!」って突っ込むシーンがある。それって、無知でいること≒何もできない≒子供っぽさ≒あなた(男性)は頼りにできますよ≒子供扱いしてよなってことだと思う。この価値観は、我ながら古くて、昭和生まれっぽいなって思う。

でも、その代替になる価値観が無いのも事実。親にかわいがってもらうことを望むのは、人類が滅ぶまで普遍的であり続けるんじゃないかなと思っている。

ふりふりのかわいい洋服も、かわいいキティちゃんも。こどもっぽさ。

タピオカがインスタ映えするー!って流行っているのって、見た目がかわいいからだと思っている。そのかわいさの中身は、丸みを帯びた女性性とかこどもっぽさ。

男らしいものでかわいいっていうのは、中々ない。例えばバイクとかって基本的にごついもの。快適とは程遠いシートに鉄パイプみたいなハンドルが付いている。むき出しの排気管からブイブイ言わせる。男っぽさの塊。

そんなバイクでも、かわいいって言われるものもある。多分僕の乗っているyb-1もその部類。どういうものをバイクでかわいいというかって、色味が派手だったり作りがこじんまりしているものを言う。

小ささとか、色味が(他のバイクに比べて)鮮やかだったり淡かったりするのがかわいい。これって子供っぽさ。

だから、かわいがってもらうことは、子供っぽく扱ってもらうことなんだと思う。

僕は、心が傷付いた時は女性に1時間くらい膝枕をしてかわいがってもらいたい。

今はその相手がいないから困っているけど、それをしてもらえたら、絶対落ち着くし、外界のことなんてどうでも良くなる。

もしかしたらそれは極端な例かもしれない。

けど、女性がどうでも良い話をペラペラ話すのって、子供が幼稚園から帰ってきて「今日はね、●●があってね●●ちゃんとあそんでね●●先生がね」って脈絡なく話し続けるのと、動機は一緒だと思う。

女性はそれをうんうん聞いてもらうこと(=子供扱いしてもらう=かわがってもらう)で何となく納得するだろうし、もしかするとそれさえあれば何があっても大抵は大丈夫になるんだと思う。

 

 

 

4.こどもっぽさ「が」かわいい

女性はかわいがられたい。

絶対そう。誰かに殴るぞって脅されても翻さない。銃とかナイフだったら多分引っ繰り返す。「いやそんなことないですよね」って。(女性に限らずだけど。今回の話として)

あの娘も、すっぴんでツンケンしてる35歳も、50代の派手なおばちゃんも。

温泉での彼女を見て、可愛いがってもらえて、頼り甲斐のある存在を女性は必要としているよなと思う。

どんなに取り繕っても、鎧を付けても、ふとした時に出る、子供っぽさ。母性、父性を求めたくなる欲求。それは程度はあれど皆ある。

少なくとも温泉で女湯に入るくらいには、大人になっている女性は、常にかわいがってー!だっこしてー!とはできない。当然自立している心もあって、シャンとしていたいっていう欲求だってある。

だから、そのかわいがられたい欲求は、大人の皮に隠れて、いつ出るか分からない。でもすごく大事なもの。トイレに行きたいけど行けないとか、目の前に食べ物があるのに食べられないっていうのと同じだと思う。

ものすごくありふれているけど、マズローの段階欲求説に照らし合わせても同じようなことが言えそうよね。

親はいるし、何なら目の前に彼氏がいて、自分はかわいがられたいと思っている。でも、普段ちゃんとしている分素直に甘えられない。そうすると、婉曲。婉曲は遠回りで特に僕には伝わらない。そんなもんよね。

 

かわいがられたい、が何故上手く伝えられないのか、なぜかわいがられたい欲求に応えられないのかっていう話に尽きると思う。

だって自分が求めた時にかわいがってもらえて、それ以外の時はシャンとしていられたら、怖いものなんて無いような気がする。あと満たさなきゃいけないものって、他になに?名誉?そんな感じに思っている。

 

僕は万人に通ずる具体的なメソッドは持って無い。子供扱いしたら怒られるなんて、めっちゃあるあるよね。そんな事例を回避できる神髄の書が欲しいけど、今のところ無い。

だから妥協点を。

女性はかわいい生き物だし、かわいいと思われたい生き物。そんで、かわいいは子供っぽさで、かわいがられるっていうのは子供扱いしてもらうこと。ってことを、胸のどこかに秘めておくだけでいいんじゃないか。

そうすることで、もっとかわいがれるし、かわいがられる存在になると思う。