僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

悲しい旅路

急に現れた女性の話。

すごく困っているという外側の状況と、すごく困っている内面の2つが本人の中で実は一致していない。当然内面が困っているから外側に影響が出ているんだと思う。

他人としては、外側を何とかするしかできなくて、内面のことに関しては自分で何とかするしかない。だけどそれに気が付いていない。ゆえに助けられず、悲しい。という話。

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1.はしが

 

昨日、元妻が家にその日知り合ったという人を連れてきた。

下の名前が同じらしく、訳ありありで泊めることにしたと。僕はそれをとやかく言う権利は無いから、受け入れる。

その人が作る夕食を一緒に食べようと。あぁそんな感じなんだ、と思って待っていたら、一向に帰ってこない。まぁいいやと思い、自分の食べるものを買いに行く。なんだかんだうろついて、家に戻るのに時間がかかってしまった。まぁ今思えばそれがベターな結果をもたらした。

戻ると、既にいらっしゃってる様子。トイレにいる。やたら時間がかかる。

自室から出ると「あぁびっくりした。こんばんは」と彼女に言われる。「こんばんは。どうぞごゆっくり」と返す。

僕はその時既に体調が悪かった。そんで、今自分のことだけで精一杯だったなって思い出した。この後夕食を3人で食べて朗らかにする余裕も無ければ、お風呂とかトイレとかそういうものを気遣う余裕も無い。というか知らない人が家に居ること自体が難しいなって思った。

だるい体に鞭うって、バイクに乗って漫画喫茶に向かう。静かなるドンを読んで、時間が経過するのを待つ。寝静まったであろう12時過ぎに家に戻る。

どうやら寝ている様子。ちょっと安心して、シャワーに入り寝る。寝られないけど横になる。

次の日の朝、どこかに行った様子。あぁ今日も来るんだろうか、わかんない。でも分からないことしか分からないからしょうがない。そんな気持ちでいたら、もっと具合が悪くなる。動きたくても、タイピングしたくても動かない。部屋で横になっているか、何とかご飯を作って食べるかだけ。固形物は食べたくない。熱も咳もないし、咳も無い。

 

2.正体は

元妻が帰ってきた。

一緒じゃない。あ、もう大丈夫なんだと思い、安心した。

どうやら、昨日連れてきた彼女は、だいぶ南の方の出身で長野県に流れ着いたらしい。家はあると言っているけど、行政のお世話になっているらしい(察してください)。

ホームレス生活も、住み込みの仕事も色々して、親とも上手くいかず、色んなことをして、上田の街をリュックとビニール袋を持って歩いていたら、たまたま元妻の働いている場所に来て「話を聞いてください!」となったらしい。

何で家に戻れないかは、大家が勝手に家に侵入(?)してくるらしく不安であると。昨日、家に来るのが遅れたのは携帯の電源を入れる場所が大事とのこと。というのは、母親にGPS?みたいなのを付けられていて監視されているから、19時くらいまでは電源を入れられないらしい。

そんで、なんで家を出たかというと大家の介入と、行政の人が親に言い含められていて、頼りにならないと。本当に聞いてほしい、どう育てられたのかそんな話をしようとしたら「その話は結構です」と言われるらしい。

ここまで聞いて、僕は統合失調症かなって思った。そうは見えなかったけど、そう言わざるを得ない状況になっているのが、きっともう限界なんだろうって勝手に思った。

当然、次の日も泊めて欲しいと言われたらしいけど断る。しばらくすると、連絡が来て鍵が無いと。家中を探すけど、当然見当たらない。トイレも玄関も寝室も探したけど、無い。きっと元から鍵なんて無いし、恐らく家が云々も怪しい。

どこまでが本当で、どこまでが嘘なのかは分からない。でも、僕らは彼女が今求めている「泊まる場所」は提供した。けど、本当に求めていることは違う。ホームレスをしてまで、鬱や過食をしてまで求めていたことは泊まる場所じゃなくて、誰かに受け止めて欲しいってことだと思う。

だけど、その本当に求めていることと、現実が乖離しすぎていて、いわゆる一般の社会のルールなんて守れない。

本当はサッカーをしたいのに、周りはヘルメット被ってバットを持ってブンブン振り回してるみたいな。上手くやれる人は「この回終わったらサッカーしよう」って言えるけど、終わるのも待てないし、そもそも野球をやっている心の余裕が無い。そんな状況。

 

3.悲しくしか存在できない

僕は、すごく悲しくなった。彼女が求めているのは、親に認められること。愛されること。全ての行動原理がそこにあって、それが満たされないから色んなハードな事態になっていると思う。

彼女は虐待をされていたらしい。そこから紆余曲折、殆どの人が経験しないようなことを全部経験したらしい。鬱も躁も、過食も拒食も、結婚も離婚も。それを経て、今は根無し草の生活。それで、僕の目の前に現れて、僕は彼女にどうもしてあげられない。だって、求めていることとやっていることが違うから、何かしてもお互い消耗するだけ。だけど、それってある意味仕方のないこと。認めてもらうには、愛されるには手法があってその存在すら知らないんだから。

 

社会と自分、親と自分、僕らと自分、客観的に見ると全部に齟齬が起きていて、でもその構造に気が付けないでいる。

だから、人に取り入る手法ばっかり上手くなる。元妻だって、人を助けるような仕事をしているんだから、求められたら手を差し出したくなるのが性。責められない。

きっと、叱責しようと思えばできる。「なんで人に取り入るようなことをするんだ!」って。自覚は無いんだろうけど、人を騙してでも部屋に上がり込んで、何ならそこで暮らそうと思っていた。(そういう発言もあった)

 

僕だって彼女みたいなもんだって思う。

愛情が満たされていないから、社会的な常識から外れに外れて、人の親切心に付け込むような生き方しかできない。

それって悲しいんだよ。そのやり方だったら、絶対悲しいし、絶対上手くいかないから、これは違うなって気が付くしかないんだよ。

彼女が何歳なのかは知らない。もう数えきれないくらい、人を騙して生きているんだと思う。

彼女自身が悪いんでも、親が悪いんでも、社会が悪いんでも無いと思う。単純に満たされようとする手法が間違っている。単にそれだけ。単純に間違っているから、周りに迷惑がかかるし自分の生活も立ち行かない。

元妻の知り合いが「私にできるのはここまで」と言って、スーパーで彼女を降ろしたらしい。

きっと笑って「ありがとうございました」と言ったと思う。きっと絶望感なんて無いんだと思う。慣れているはずだから。「いつものことだよな」って。

僕はそれを想像して悲しくなる。傲慢で、上から目線で、阿呆な悲しみ。

共感できる悲しみを、そのまま放置しておけないっていう思いと、彼女自身で気が付く他ないっていう思いが交差して、苦しかった。

僕の悲しみの一部が目の前に現れて、解消されないまま消えていく。僕は僕で、彼女は彼女。社会は社会。だけど全部繋がっていて、境界線なんて曖昧。だから、悲しい。

今の彼女の生き方は、どうやっても、悲しい。自分がしたいこと、満たしたい思い、それが何なのか。それに気が付いてほしい。