僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

得意と好きについて

好きなことをやれ、とか好きなことは仕事にするな、とか色々言われている。正直言って僕もどっちが正解かなんて分からない。

ただ、得意や好きという単語では説明が足らないと思っていて、行動の根拠になるには、もっともっと言語化が必要だと思っている。

なので、今日は「好き」や「得意」を言語化していこうと思う。

 

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1.はしがき

格闘技を始めたいと思っている。強いものへの憧れと、強さを知るということで自分の弱さと向き合えるかな、という理由。

幼稚園の頃夢はプロレスラーと言っていた。それに母の付き合っていた人がレスリングのオリンピック強化選手か何からしく、数回レスリングを練習したこともある。父は少しだけボクシングをやっていたことがあるらしく、格闘技にうるさい。

格闘技と一口に言っても立ち技から寝技、投げ技等々、色々な種類がある。僕が格闘技に望むものは、①護身術としてできるもの、②単にスポーツでなく心と向き合えるものの2点。

①については、結構難しい。空手は文字通り「手を空に」して行うもので、基本的には相手の攻撃を受けて立つ。護身において最強なのは戦わないことだと思う。もしその戦いが起きてしまったものであれば、一番は避ける。そう思っているから、空手は除外。護身となるのは、手だけでは何か違う。足も使いたい。そういう理由でボクシングも違う。

②は、武道と名のついているものが良いと思う。道で、それすなわち生きることだから。技術や体が成熟していくにつれて、如何に自分が弱いのかを認識が出来るようになると思う。強いというのは、弱さを知っていることだと思うし、弱くいられることが強いことの証明であると思う。

知り合いがテコンドーをやっている。僕の条件の①と②が概ね満たされているらしく、おすすめだという。やってみちゃう?テコンドー?

これまでサッカーとフットサルくらいしかしてこなかったから知らなかったけど、格闘技というのはそもそも人気が無いから、比較的競技人口が少ない。ゆえに、身体能力でずば抜けた人が余りいないのだそう。

サッカーをやっている時、スピードなどの基礎能力が違いすぎて自分と比較するまでも無いという人を何人も見た。某Jリーグサイドアタッカーなんて、速すぎて僕がどうこうするレベルじゃなかった。一瞬で心をへし折られた記憶がある。

そのJリーグの選手だって、クリスティアーノ・ロナウドにはぶち抜かれると思う。世界最高峰に僕の身体能力だけで立ち向かうのは物理的に無理。

だから、足が短くても、腕が短くても生きていけそうな場所を探すほかない。もしかしたらそれが格闘技になるのかもしれない。わからんけどね。

 

1.生きる場所は

スポーツは残酷だよね。小さい頃からやっている人であれば、全く叶わないという経験を何度も繰り返して生きてきているんだと思う。かの有名な「大迫半端ないって」が良い例。強豪校のサッカー部の連中ですら、大迫選手の技術には全く歯が立たず涙を呑む。でもその大迫選手でも、世界トップクラスのレベルでは「ポストプレーが上手い」だけの選手。きっともっと沢山点を獲りたいだろうし、もっとドリブルだって上手くなりたいと感じていることと思う。

「大迫半端ないって」と言った彼が今何をしているか分からないけど、もしサラリーマンになっているとしたらその社会性とか、行動力みたいなものはきっと大迫選手にはできない異質のもので、単純に両者を比較したら彼がずば抜けていると思う。

フットサルで強豪チームに所属している人に、僕は簡単にあしらわれる。ひょうひょうと僕をかわしてゴールに迫っていく。すごく上手。だけど、僕がこうやって書いている文章が(ずば抜けているかどうかは別として)彼には全く想定外で異質なもの。比べるまでも無いものであると思う。

得意なこと、と一口に言ってしまえばそれに集約される。

その得意で、既に自分がやっていることで、他人にできないこと。それが自らが生きていく場所なんだと思う。

 

2.得意、好き

自分が何を得意なのか、なんて分からない。もっと些末なことにして言い換えると、好きなことである。好きなことが他人と比較して抜きんでているかは、別次元の問題でそれは分からない。分からないからこそ、試してみる他無い。

他人より抜きんでられるかどうか、試してみる動機になるのが「好き」だと思う。異性に対しての「好き」は性欲だと思っているけど、スポーツとか文化活動においての「好き」はきっと褒められた経験や、褒められそうなこと、そういう過去の経験に基づく未来への希望が、好きの根源だと思う。

僕も含めて「好き」となった要因となる経験がどんなものであったのか、記憶が無い。好きにも理由は必ずあって、それが思い出せないけど、何となく好ましい。「好きは理由が無い」と巷で言われているのは、宇宙からのメッセージじゃなくて「具体的な記憶な引き出せない」だと思う。

 

3.思考し試行す

得意は他人よりも優れていること。動機となる得る、「好き」というのは、褒められた(思い出せないようなものも含めた)ことのある物事だと書いた。

もし他人よりも抜きんでたい場合は、試す他無い。もしかするとそれは違ったねという結果になるかもしれないし、成果がすごく出る場合もある。失敗も成功も含めて、その結果が得られたことが結果であると思う。

ただ、目についたもの全てに挑んでみても、時間を浪費する一方。だからこそ、自分が何を好きか、どんなことをしたいか、思考することが大事だと思う。ひらめきとか、何となくも含めてそれに気が付くことがきっといい。

試してみよう。試してみないと、どうなるか分からない。それでしか答えは出ない。

 

 そうしていくうちに、もしかしたら「得意」が見つかって、それが自分そのものになる。そんな経験をもっと沢山沢山していきたい。