僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

心は複雑に

上田市内に新しくスターバックスが出来た。箱の様に四角い外観の周りにある植木に間接照明が当たっている。店の入り口まで行くと、外国人の喉が開いた声のジャズが流れていて、カウンターには前髪をかきあげた女性が自信たっぷりに微笑んでいる。店に入るよりも前に素敵な店だ、と思った。やっぱり新しい店だから、とか店員が綺麗だからって理由なのかと思ったけどそうじゃない。音楽だ。箱に近付いたら聞こえてくる。お洒落のテリトリーが広い。それが海外っぽいんだ。昔行ったバリのテラス席があるようなイタリアンレストランも、石垣島にあるリゾートも外で音楽が聴ける。その体験が、僕の中にある数少ない、海外おしゃれ記憶を呼び起こして「ここは良い店だ」となったんだと思う。おじさんになるって悪くない。色んな記憶を引っ張り出して、目の前のことに当てはめて嬉しくなれる。

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1.はしがき

ラカンの本を借りに図書館へ行った。地方都市ゆえの蔵書数の少なさ。フロイトすら怪しい。ショートカットで眼鏡のいかにも図書館職員らしいおばさんが探してくれて、やっと一冊だけ見つかる。読んでみると、あれ僕は何を読んでいるのかなってなるほどに難しい。「あのねー難しいことを難しいまま書くのはどうなのよ」と分からないストレスで出てきた毒を心の中で吐く。

いつか考えたことがある。難しいこと、複雑なこと。それを自分のフィルターを通して人に伝えるか。千葉雅也さんの「勉強の哲学」でも勉強をすること、難しい言葉を得ていくことはキモくなっていくことは不可避であると書いていた。大学生がゼミで覚えた「アグリー」を連発するのもそう。札幌にいた時の職場で来期の計画を立てる際、上司がアジェンダアジェンダ女子になっていた。「アジェンダ持って行かなきゃ」「アジェンダ詰めなきゃ」。ちょうどその時選挙があった頃だったから、耳に入って使いたくなったんだと思う。新しい知識を手に入れると使いたくなる。その言葉でなきゃ伝わらない、よりも、知っている私すごいでしょ、が先に来ると他人には自慢がビシビシ響いてくる。それがキモさなんだと理解している。

 

2.複雑であること

新しい言葉は使うとキモイいから使うんじゃねえ、と言いたいのでは無い。難解さ、複雑さは、基本的に良いと思っている。

エピソード。中学生の頃付き合っていた彼女に「僕は考え事していそうか」と聞いたことがある。タイピングしている間にも耳が真っ赤になりそうな話。お互い中学生だからか、今は子供が2人いるらしい彼女だった人が受け止め上手だったのか定かではないけど、その時は「考え事してそう」と欲しい答えを貰えた。昔から、難しいことを考えている自分が格好いい系男子。誰しもあるよね。そうだよね。

中学生の男子が思春期を迎えて、急にこどもおじさんになることと同じように、蝶の羽化がグロテスクなように、変わっていくときは必ずキモい。女性の上司は3年以上たった今では、アジェンダを連発せず淡々と会議のための書類を作っているはず。アグリーマンの彼も、話してみるとカタカナ語が随分減っていた。そんなもの。興味を持って、新しく覚えて、ほやほやのそれをアピールして、洗練されていき、残ったものが身に付いていく。そんなサイクルを繰り返して人はどんどん複雑に、知性や人間性が豊かになっていくものだと思う。

 

3.単純と複雑

僕のバイクは、バイクの基本中の基本みたいな作りをしているらしい。このバイクをいじれるようになれば、どんなバイクも大体わかっちゃうよねと口コミサイトでみた。シートを張り替えるために色々と触ってみると、確かに単純。原動機付自転車とはよく言ったもので、チェーンがあってその動力がタイヤに伝わる。そのあたりは自転車と一緒。知り合いのおじさんは、エンジンスターターはセルじゃなくキックが一番だと言う。

現在使われている情報を記憶する媒体は100年後までは保持できないらしい。逆に壁画なんかは石を傷つけて描いているから、何千年と経った僕らでも見ることが出来る。単純であればあるほど、長く保つことが出来る。

僕のバイクも、壁画も機構が単純。ゆえに頑丈。これって、人の心にも応用が利くと思っている。単純であればあるほど心はストレスに強い。ネアンデルタール原人に「SNSいじめが流行っていて...」と相談しても共感されない。そう、知らないはストレスには一番強い。じゃあみんな原人になろう!と呼びかけたいのではない。むしろ逆で、もっと複雑に、もっと色んなことを知っていこうと言いたい。

 

4.複雑さが単純さ

ワンピースの作者の尾田栄一郎さんは、ルフィに考えているセリフを言わせないようにしているらしい。確かにルフィが「右に行ったら熊が出るかもしれないし、左に行ったら鮫がでるかもしれないよね・・・。う~んどうしよう」って言っていたら、何か萎える。「うるせえ行こう!(ドンッ!!)」が主人公らしい。思考を排除して行動あるのみ。僕はそんな人間に僕は出会ったことが無い。ホリエモンとかはもしかすると近いかも。

ただ、僕らは日本においてルフィにはなれない。沢山悩んで、沢山考えて、ようやく動ける。それが普通だと思う。だからこそ、心を複雑にしていく

思考の材料が沢山あればあるほど、物事を判断するうえで「正解」に近づけると思う。その材料は当然知識や経験。Aと言う事象に対してBという経験しかないとしたら、きっと判断に困ると思う。本当にこれなんだろうか、前は上手くいったけど。そんな具合。2つ以上あると判断の自動化が働くと思う。判断を下すうえで、これまであった2つ以上の情報を「現在の場面に適当かどうか」抽出して、それを言語化するのはどうやら脳にはできないようで、「言語化して判断」というフローが省略される。なので、脳内は逆にクリアになる。ルフィにはなれなくとも、うじうじ判断に迷うことは少なくなる。

だからこそ、心を複雑にする必要があると思う。キモさを恐れずに学んで、色んなことをする。単純でいるために複雑さを目指す。そんな構造。