僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

幸せに押し潰される

昨日、久しぶりに妻とキャナリィロウに行った。イタリアンのお店で、デザートと前菜が食べ放題。大ぶりなピザとパスタも結構美味しい。2人で5000円くらい。

もう10回くらいは食べに行っている。最初新人でおどおどしていた女性店員が、昨日行ったら赤いタイを付けていて、「ちょっと偉くなったんですよ~」と言っていた。

 

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いつもなら、最初にチキンカツレツと人参の千切りをしこたま食べて、ピザ。そしてデザートの流れ。

昨日は作戦を変更して臨んだ。最初にデザートを食べる。いつもは満腹状態で食べていたデザートが、空腹で食べると美味しい。前までなら「ここのデザートは味濃いよね」とぶつくさ文句を垂れていたが昨日は「上田で一番美味しい甘味じゃない?」とまでなった。

それから、運ばれてきたピザを食べる。いつもより美味しく感じる。前菜だ。前菜を食べすぎてたんだ。カツレツと人参が原因。

  

食事の間、妻と良い話も下らない話もたくさんした。ずっとケンカしてきた僕らが、最近は仲が良い。

けど、一度離婚はしようって話になった。どれだけ仲が良くても、一緒に居たいと思っても。僕らが仲違いしたり子供だったりした過去を肯定するために必要な作業だと思っている。

もし、一回離れてそれでも必要だと思ったらもう一回結婚しよう、と話した。

 

偶然に偶然が重なってもしもう一回今の妻と結婚するなら、結婚式を挙げたい。過去を肯定する作業の真骨頂として。

そうなったら僕はオイオイ泣く。子供だった僕、子供だった妻。死にそうになりながらも這い上がった僕。信じて待ってくれていた妻。そういうストーリーを思い出して、音楽がかかった瞬間に泣く。予告しておく。

  

 まぁそんなことを話しながら、沢山食べてお腹パンパンの妊婦スタイルで帰宅した。

お茶を淹れて、胃薬を飲んで、又色々話す。

 

妻と話せるのが嬉しい。嬉しいけど、だんだん「恐れ」みたいな感情が僕を襲って心臓ドキドキしてくる。楽しいのに寒気がするほど怖い。お茶を引っ繰り返して自室に引きこもりたくなる感情。この場から逃げたくなる衝動。

 

なんだなんだ、って困惑している時にも妻はニコニコ喋っている。

 

あ、わかった。幸せに押しつぶされそうなんだ。

 

このまま今の幸せを感じてしまうと、僕はこの場所に定着しちゃう。僕はまだまだ欲求がある。喉から手が出る程やりたいことがある。みんなに僕の存在を認めてもらいたいっていう乾きがある。

それを「忘れるな!見ない振りするな!」っていう自分からの警告アラームだ。

 

 吉田尚記さん石川善樹さんの「どうすれば幸せになるのか科学的に考えてみた」に、「パイオニア遺伝子」なるものがあると書いてある。

それはコミュニティから脱出して新たな場所を探そうとする遺伝子。その遺伝子の人が帰ってきたらコミュニティ自体には新たな食べ物や知識が導入されて、存続する可能性が高まる。けど本人は死ぬリスクが非常に高い。そんな行動をとる人。

 

僕がパイオニアだ!すごいだろ!じゃない。今ある幸せを感じていれば良いのに、それを素直に感じられないでアラームを鳴らす僕が不気味。

めだかボックス黒神くじらちゃんも「素晴らしいものは地獄からしか生まれない」って言っていた。近い。不幸に自分から頭を突っ込んで、それを原動力としないと生きられない不幸大好き化け物。

 

「幸せになろう」って毎日本当に思っている。「オフィシャルな野望」って宇多田ヒカルも言っていたくらい。

けど、気が付いた。「幸せ」と「不幸せ」は対比表現だから、どちらか片一方では存在しない。必ずセットだと思う。「昔は辛かったけど、今は幸せ」みたいに。

 

(人は皆)幸せだから、一旦不幸になってそこから幸せを狙っている。がロジックとして正しい気がする。

 

その波を作ろうとするのは、不幸から幸せになる瞬間が一番快感が強いって知ってるからだと思う。快感の奴隷だし、脳の奴隷なんだ。