僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

時間は無料か

昨日から今日にかけてたくさん寝ている。

昨日は昼寝も3時間くらいして、24時就寝。今朝は11時に起きた。

少しショックな出来事があると、すぐ過眠になっちゃう。非定型鬱じゃないのってツッコミが入るけど気付かない振り。

毎晩やっている瞑想もキャンセル。毎朝やっている床掃除もごく軽く。こうなってしまったらやり過ごすしかない。

やり過ごしている間にも、僕は歳をとっていて、どんどん老いる。理想の自分から遠のく。今世で間に合うのかなって絶望しそうになる。

 

でもやり過ごすしかできない。時間はほぼ無料。お金を支払わないという意味で無料。

だから、落ち着いた振りでもいいから、自分を整えるしかない。実質無料である時間を消費しかできない。未来への先送り。

サッカーを見ていた。松本対札幌。宮沢という選手は、落ち着いている。ボールを持っても慌てない。ターンして散らす。一方で、落ち着いている間に相手は帰陣しているから、ゴールを取りたい前線の選手にとっては、もどかしい。決定機の数が大事だから時間のうちどれだけ前線にボールを運べるかが重要。けど時間を使って、ボールを落ち着かせる宮沢。

時間を消費してゆったりする選手とも言える。

試合結果は0-0。もしかすると時間を消費しすぎたせいかもしれない。

焦りもあるし、期限のあるものもある。環境を思い切って変えるという手もある。けど、大事な決断は良い日常の中でしかしちゃいけないと思っている。

焦ってどうしようもなくなって、選ぶ選択肢は得てしてうまくいかない。

穏やかでステキな日常の中で、それを選択することでプラスアルファになると思った時にだけ大きな決断はできる。そう思っている。だからやり過ごす。

このやり過ごす論理と、脳が出す焦りのアラートのバトル。

あとこれを何回やれば、ずっと幸せな気持ちでいられるんだろうか。

うまくいってもうまくいかなくても、この周期があるなら何をしても変わらない。むしろ努力するだけ無駄じゃないかって考えが頭を過ぎる。

 

それでも前へ。って今は言いたくない。