僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

1人寂しい夜は

昨日、フットサルがあった。Twitterにも書いたんだけど、ちょっとおどおどした大学生くらいの男性が参加していた。

終わり際、僕は「来週も来てね」と言った。そしたらなにやらもにょもにょ言う。そうするとすかさず同じチームでこのフットサルの主催をしている人が「いつでも来てね」と言った。

来週、と言われるよりいつでもと言われた方が、嬉しいと思う。というより負担にならない言い方だと思う。

僕を含めた考えすぎてしまう人達は、来週本当に来られなかった場合「悪いことしたかな、次行きたいけど行きづらいな」って感じる。

そんな人達にとって正解は「いつでも」だと思う。いつでも来てね、忘れないようにする。

 昨日、瀬戸内寂聴さんの「孤独を生ききる」を読んだ。

孤独を生ききる (光文社文庫)

孤独を生ききる (光文社文庫)

 

 タイトルにあるように、人は孤独であるということ。それを生きるのが人間の宿命であることが書いてあった。

 

僕も今、孤独である。だから今日のブログは孤独について考える。そしてそれが孤独な人のためになれば良い。

僕の家の周りは田んぼだらけ。この季節は田植えが始まっているから、カエルが無限に鳴いている。

カエルは日照りが続いたら干からびる。人も栄養がなくなったら死んじゃう。

そんな風なアンモラルなモラルが、人間で人間の孤独であるということだと坂口安吾が「文学のふるさと」で書いていた。

人間は徹底的に孤独な存在で、それが基本。同じベッドで寝たところで同じ夢は見られない。同床異夢。僕は他人と同じ布団で寝られない。

人間は、孤独な生き物。そう改めて書く必要もないくらいに厳然たる事実。

 

寂しい人は、まずそこがスタートだと思う。自分はもともと孤独なんだっていう気持ち。

寂しいって思うのは、きっと余裕があると思う。誰かに関わりたい、優しくしたいっていう思い。だから、それを発揮しに外に出れば良いと思う。

コンビニで店員さんにニコっとするでも良いし、工事現場の周りで警備をしている人に「ご苦労さまです」って言ってみるのも良いと思う。

僕はちょっと寂しい時、そうしてる。誰か困っていそうだったら、大丈夫ですかって声をかける。完全に自分のため。

おじいさんが店員さんに絡むのは寂しさから。店員と客だと断れないっていう保険付きだからね。良くも悪くも。

 

僕は、寂しくなりそうな時(そうでなくてもだけど)本を読む。

本はその人の考え方そのものが、精緻に記してある。だから知り合いと気を遣って話すよりよっぽど心が通じ合う気がする。昨日は瀬戸内寂聴さんと通じ合えていた。

僕は話が特に上手じゃないから、会話で通じあえたな、って中々思えない。一方的に書いてあることを、一方的に「めっちゃわかる」って感動して、一方的に著者に思いを馳せる。だから、1人じゃない。

 

ひとりだけど、ひとりじゃない。そんな気持ちが成り立つと楽だからおすすめ。僕はひとりだから、TSUTAYAに本を読みに行く。