僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

「愛する」を考える③-認めるってなんだ

お盆で普段見かけない人達が沢山いる。

「府中には刑務所と競馬場しかないよ」と言う大学生集団は、再会の喜びを、旅立った先の悪口で表現する。

丸眼鏡でペラペラ一枚のワンピースを着ている女性は、しっかり歯を見せて笑う。開放的で自分のことが好きな笑顔だと思う。

道路を挟んだ隣の一軒家にいる息子は、庭にライトをつけて焼肉。深夜まで騒がず静かに楽しんでいる。大騒ぎするという習慣が無いのが長野県民。札幌で焼肉をやっている人達はギャハハハ!っていう声が30分に1回は聞こえてくる。 

僕はお盆で地元に帰るという習慣が無い。墓参りに行ったのは、母方の方は10年以上は経っているだろうし、父方の方はピンクの墓石に「心」と刻まれたものを自慢されに行ったのが最初で恐らく最後になる。

 

毎日、寝つきが悪くて、寝起きが悪い。

朝方になるまで起きていて、気が付いたら昼前、みたいな生活である。

夏場は、当然寝つきが悪くなるものだろうけど、ここまでのは初めて。睡眠不足だから、体は活動的にならない。なんだけど「動かねば!」という使命感に駆られて原付に跨る。コーヒーで無理やり体を動かして、24時くらいにちょっと元気。そんな感じ。

 

今日は、久しぶりに本を読んでみた。

 

世界の心理学50の名著 (LIBERAL ARTS COLLEGE)

世界の心理学50の名著 (LIBERAL ARTS COLLEGE)

 

 気になったのが、「教育レベルの高い女性ほど、性的な経験が豊富である」という文章。

なるほどな、と思った。一般的に、教育レベルが高い=がり勉みたいなイメージがある。当然がり勉はモテない、だから経験値も低い、と思われがち。けど、周りの高学歴の人を見ると、勉強量と性的な経験のどちらの数も多い人が結構いるなという感想。

昔の知り合いだった女子高生は、●●君と付き合って~すぐ別れてまた別の人と~云々と話していた。色白で女性っぽい人ではあったけど、一般的な美人というタイプではない。

逆に言うと、教育レベルが低い人は性的な経験に乏しいということになる。

残酷な話だなと思うけど、世の理なのかしら、と思う。

 「僕たちがやりました」というドラマで出てくる高校は、きっと偏差値が低い設定だと思うけど、男女交際は盛んなように見えた。まぁドラマだしね。

その中の「パイセン」役で、きっとお笑い芸人の方の演技が非常に良い。見た目はもちろんぴったりだと思うんだけど、体の動きが繊細。おちゃらけるシーンが多くて、その変な動きの手足の先までに神経が行き届いている感じ。武道とか踊りとかやっている人なのかも、と思った。

このドラマを最終回まで見て「存在を認める・認められる」が、主題だと思った。

ここまで考えて、思った。それが愛じゃん。と。

 

 

 

これが一昨日の記事。

 

yashimaryoz.hatenadiary.jp

すごく下手な宣伝みたくなったけど、本当にドラマを観ていて思った。

この記事では、「愛する」ことは「存在を認めること」、「自己愛の外部化」であること、そして、「母親から子供へ提供されるものが最も原始的である」みたいなことを書いた。

 

人って愛されること、存在を認められるために生きているんだと思う。

「パイセン」もそうだし、煽り運転をして人を殴っちゃう人も、京アニ放火の犯人も。

 

認められたい、が犯罪の動機にもなるし、殆どの人の生きる目的になると思う。

 

ただ、認めるって言語化するのが難しい。きっと僕には実体験が少ない。あからさまに認められたという体験の数。だから、認めるって何?と自分に問うても、言葉があまり出てこない。それくらい心の欠落している部分なのかもしれない。

認めるってなんだ。サッカーで点を獲って認められる、っていうのもそうなんだけど、そうじゃなくてもっと野性的な原始的な、そういうプリミティブな意味での「認める・認められる」。

存在に対する眼差し?結果がどうであれ共に存在すること?

認められたい

認められたい

 

 

僕は、一緒に住んでいた人の長所も短所も認められなかったと思う。なぜなら、その人がそれ自体を認めていなかったから。自分の愛せない部分を他人に愛してもらおうとしても、どうしても難しい。この構造自体に気が付いていたのであれば、もうちょっと上手くやれたかなとは思う。

説明って、言い換え。だから、「認める」という言葉そのものを言い表すのは、「認める」という言葉以外でない。でも、その言葉じゃ判然としないから言い換えが必要になる。

中々言い換えが分からず、不要な文章で誤魔化していたんだけど、書いている間に思いついた。

「認める」って「人の属性とか役割に気が付く」ってことかなって思った。

 会社社長には会社社長という役割があって、それに気が付く。まぁそれは言わずもがなの「認める」。

子供だったらどうだろう。買い物途中でアンパンマンチョコが欲しいと言って泣き喚く子供は、多分きっと泣きたい時期なんだろう(子供だからね)って認める。愛っぽい。

付き合っている彼女が怒っている。その気持ちが分からない。だから、そういう人なんだって思って、わかんない状態なんだなって認める。

言語化すると、簡単なようだけど難しいと思う。色んな人がいて、1人1人状況によって感情や態度は変わるからね。包括的に「認める」のは、やっぱり自分を「認める」ことから始まる。うん、そうだ。