僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

「助けたい」は傲慢か

テストステロンさんという筋トレは最高のライフハックだって言っている方がいる。

Testosterone (@badassceo) on Twitter

筋トレ社長。この方が言う筋トレ万能説は僕も大好きで大賛成。全人類スクワットやれって思ってる。

 

筋トレ社長のとあるツイートに反応したアカウントに目を引かれた。

今が辛くて毎日泣いていると。自分が安心して受け入れられる場所が欲しいと呟いている。

僕は、つい最近までその人と全くおなじことを考えていた。だから助けてあげたいって不遜ながら思った。

助けてあげる、はやっぱり傲慢だ。そう思って何も出来なかった。自己意識の拡張を他人に求める行為だから。

 

果たして「助けてあげたい」の感情を発信源にした行為はくさされることなんだろうか。

すべからく、行為の是非は社会のルールに則っている限り誰にも決められない。理不尽さも気持ち悪さを包含していることも自覚して、葛藤しながら突き詰めるしかない。そう思っている。

 

少なくともその人自身が助けて欲しいって行動を選んだときの選択肢になる準備を重ねるしかない。準備が整った時にその人を助けられるように努力する他ない。

 

だったらグチグチ言わずやれよと自分が突っ込むんだけど、このブログを書かずにはいられなかった。

助けて欲しいって外に発信できただけで、良いんだよって言いたい。僕も発信しただけで認めて欲しいのと全く同じ。

 

「こうありたい」はそうなるための一歩って思いたいから。

今の僕は助けたいって発信するしかできないマン。

「辛いんだよを発信するしかできないマン」がいたら、話くらいさせてほしい。

お待ちしています。