歳を取るのが怖い
カフェインは摂取したら、焦る気持ちが出てくるって誰かが言っていた。
今日もエスプレッソを飲んだら、焦燥感に駆られて仕方なかった。トイレが近くなるドキドキ感が影響しているのかなと思う。
そういえば、昨日の夜、今の精神性で10歳若かったらな、って思った。20歳。
直後に10年死ぬまでの時間が長くなるんだとしたら、人でいることに飽きそうだなって閃いて、やっぱいいやって思った。
今日もいつものように本屋に行ったんだけど、歩くのが億劫な時がある。これが、体の衰えだ。
前までは週6くらいで運動をしていたのが、今は週1くらい。大きくなっていた大胸筋はすっかり萎んだ。10キロくらいは走れていた脚力も酸素交換能力もなくなった。
何が言いたいかって、感情も身体も摩耗していい感じに軽くなってきているってこと。単純に考えると、心は感情の瑞々しさを失っているし、身体は衰えている。でも僕は、自分の未来を信じている。心は若々しさと老練さを両立させられると思っているし、弛んだ胸筋はもう一回ベンチプレスを始めれば良い。
そう、今日は歳をとることについて考えてみようと思った。
歳を重ねることが怖いって思うことが時々あった。「もう30歳なのに、まだ僕こんなんじゃん」って焦り由来。
このまま何も残さず死んでいくんじゃないかっていう不安。
ブラック企業とか、ひどい人など外的要因なら逃げられるけど、自分は地球の裏側に行ったって付いてくる。
1番怖いのは無力で居続けて、それを自覚し続けること。
歳をとることで経年劣化する見た目が気にならない訳じゃない。ほうれい線は深くなったし、笑うと目尻がクシャっとなっている。
対策として化粧水を塗っているし、アホ面して顔筋のトレーニングもしている。
身体が衰える辛さは耐えられるけど、心が無力なままでいるっていう未来への絶望感は、筆舌に尽くしがたい。
歳をとる怖さってこれだと思う。
でもそれって、空想のお話。ありもしない話を勝手に妄想して、独自に苛まれてる。
少なくとも僕はこれまで、何にも状況が変わらなかったことって無い。
そういう意味での信頼と、1番始めに書いたような、命が長くなるからいいやってくらいの明るい絶望感の狭間にいるのが楽なんじゃないか。
とりあえず腕立て伏せから再開しようか。